木の防衛戦略 〜円山原始林〜


◆札幌市民の気軽なハイキングコース

 円山は札幌市内にある高さ225.4mの山です。地下鉄円山公園駅から10分ほど歩くともう登山口です。そこから、大人の足で1時間半もあれば、ゆっくり登って降りてくることができます。子供でも小学生以上ならまず問題ないほどの、気軽に登れるハイキングコースです。

・頂上からの眺め(JRタワーを望む)


 市民の誰もが気軽にいける山なのですが、実はこの円山一帯の原始林は、天然記念物に指定されています。このため入山者は、勝手に植物を持ち帰ったり、地形に変化を加えたりしてはいけません。人の手を加えるのを最小限にしているので、2年前の台風でへし折られた木々をそのままの姿で今も見ることができます。


チェンソーで切られた樹木の断面

 なるべく人の手を加えないというものの、さすがにハイキングコースは、危険がないように整備されています。チェンソーを使って切ったであろうと思われる切り株の断面をあちこちで見かけました。


 切り株の断面は、中心部の円と、周辺部の円周部分では、色が違っています。年輪が、季節による木の成長速度の違いでできるという話は小学校で習いました。しかし、この中心部と周辺部の色の違いについては習った覚えがありません。
 さらには、こんな切り株も見つけました。


 木の周辺部の円周部分にキノコ(菌類)が生えて、中心部のエリアには、生えていません。これは、なぜでしょう? 実は、そこには、木が大きく育つための巧みな防衛戦略の秘密が隠されているのでした。


◆木の構造―死んだ細胞を利用する木―

 木の断面には、中心部の色の濃い部分と、周辺部の薄い部分があります。中心部のことを「心材」。周辺部のことを「周材」といいます。一番外側を「樹皮」といい、樹皮と周材の間の薄い層を、「形成層」といいます。


 さて、この図の切り株が切り倒される前の幹をイメージしてください。その時、生きている細胞はどこにいるでしょうか? 生物なんだから、どの細胞もみんな生きているんじゃないの、と思いたくなりますが、木の場合は違うのです。

 樹皮の部分は、生きている細胞(樹皮細胞)と死んでいる細胞(樹皮の表面部分)が両方存在します。形成層の部分は100%の細胞が生きています。(形成層は細胞分裂が行われる場所です。)周材の部分は5%〜20%の細胞しか生きていません。そして心材の部分では、生きている細胞はゼロ。つまり100%の細胞が死んでいるのです。

 これは動物との大きな違いです。動物の場合は、生きている細胞がほとんどで、死んでしまった細胞は分解され体外に排出されてしまいます。これに対して木は、死んだ細胞を排出することもなく、たくさんの死んだ細胞の周りを、生きた細胞が取り囲んでいます。生きている細胞たちは、木をしっかり支えるための材料として、死んだ細胞を利用しているのです。


◆木は微生物達に狙われている

 木の幹の細胞の一生をおおまかにいうと、細胞は、形成層で生まれて、数ヶ月で周材となり、10数年後に心材になるという道をたどります。この長い時間の間に、木は外からの敵と戦わねばなりません。
 例えば、生きている細胞中にある成分は、全体質量の5%ほどですが、抽出成分、無機質、デンプン、タンパク質、核酸などからなります。この中のデンプンやタンパク質などは、微生物達にとって美味しいごちそうです。だから微生物たちは、木に侵入する機会をいつもねらっています。木はこれらの微生物から身を守らねばなりません。どのような防衛戦略を木は採用しているのでしょうか?


◆周材での第1の防御:リグニン

 形成層では細胞の分裂がさかんにおこなわれますが、木の中心部側に位置した細胞は、数ヶ月もすると80%〜95%が死んでしまいます。これらの細胞は、死んでいくときに堅い細胞壁を作ります。その主な材料は、セルロースとリグニンという2つの物質*1です。
 セルロースとリグニンが結びついて木が堅くなることを、木化あるいは木質化といいます。(木質化された部分が周材になります。)セルロースの束だけだと、すき間だらけで、そこから水や微生物が浸入してきます。そのすき間をリグニンが埋めることで微生物が侵入できないようにします。また、リグニン自身が、多くの微生物にとって毒物のように働く化学的性質を持っており、天然の防腐剤と言われています。リグニンを用いた木質化は、微生物に対する防衛の役割を果たします。


◆強敵あらわる−木材腐朽(ふきゅう)菌(キノコ・カビ)−

 木の周材から内側はリグニンによって入り込むすき間がほとんどふさがれています。そして、セルロースやリグニンは分子的構造が複雑なため、多くの微生物にとって、栄養源として適しません。これで木の防衛ラインは安泰であるように見えます。ところが、自然界には、この防衛ラインを破ってしまう生物が存在します。それは、普通の微生物には歯が立たないはずのセルロースやリグニンを分解して栄養源としてしまう菌類たちです。このような菌類のことを「木材腐朽(ふきゅう)菌」といいます。身近な例ではキノコやカビたちで、シイタケがその代表です。木は、これらの強敵から、一体どうやって身を守っているのでしょう?


◆心材での第2の防御:抽出成分

 木質化して周材になったときに生き残った5%〜20%の細胞のことを、柔細胞といいます。この柔細胞は、栄養分を蓄える役割を果たしているのですが、十数年ぐらいするとやはり死んでしまいます。柔細胞は、死ぬ前に「抽出成分」と呼ばれる樹脂や色素を作り出して、細胞と細胞のすきまに詰め込んでいきます。こうして色の濃い心材部分が作られるのですが、この抽出成分が第2の防御の役目を果たすのです。

 抽出成分は、種類もたくさんあり、実に様々な働きをすることがわかっています。微生物に対しては、防菌、防カビ物質として作用しますし、昆虫に対しては、防蟻、防虫作用を持つこともあります。植物に対しても、同じ仲間の植物以外が成長しないような物質を作るものもあります。

 世界最古の木造建築である法隆寺はヒノキを使って建てられています。ヒノキにはヒノキオール、ヒノキオン、ヒノキニンなどの抽出成分が含まれていて、ヒノキの耐朽性は、これらの物質によると考えられています。また特に著しい耐朽性をもつ抽出成分としてトロポノイドという物質が知られていて、この物質を含むヒバやビャクレンは国産木材の中で最も耐朽性があります。

 これらの成分は心材部分に多く分布しています。心材ではすべての細胞が死んでいるのですが、抽出成分が作用することにより、木材腐朽菌類から、死んでしまった細胞が残してくれた堅い細胞壁を守っているのです。

 これでキノコ(木材腐朽菌)が、周材部にはついているけど、心材部にはついていなかった謎が解けました。木の2段構えの防衛戦略が働いていた表れだったのです。


(文・写真・図 : 中村滋

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【参考文献】

  1. 『すばらしい木の世界』日本木材学会編、1995、海青社
  2. 『木のはなし』科学全書6 善本知孝 著、1983、大月書店
  3. 『植物抽出成分の特性とその利用』谷田貝光克著、2006、八十一出版
  4. 『木材の秘密 リグニンの不思議な世界』榊原彰、1983、ダイヤモンド社
  5. 『もくざいと科学』日本木材学会編、1989、海青社
  6. 『森のふしぎな働き』谷田貝光克著、1989、農文協

*1:セルロースとリグニンにヘミセルロースを加えた3つの物質で木の95%ができています。そのためこれらの成分のことを主要3大成分と呼んでいます。