森林浴の「快適さ」とは?〜野幌森林公園〜


◆森林浴はなぜ気持ちいいの?

 札幌市の東端、江別市北広島市との市境界線上に、野幌森林公園があります。敷地は、およそ東西3キロ、南北7キロもあります。公園内には総延長距離40kmを越す13ものハイキングコースが網の目のように張り巡らされています。


 眩しい夏の日差しも、緑の木立が受け止めてくれるので、森の中はひんやりとしています。訪れた人たちは、さわやかな森の香りの中を歩いて、心ゆくまで森林浴を満喫することができます。

 ところで、この森林浴の快適さは科学的にはどのように説明されるのでしょうか?


◆初期の説明「フィトンチッド

 そもそも森林浴という言葉が一般に広まったのは、ある新聞記事がきっかけでした。『林野庁が「森林浴」構想 森の香りを浴び心身を鍛えよう 自然休養林を再活用』(1982年7月29日朝日新聞)という記事です。この中で森林浴の効能については、「森の中には殺菌力を持つ独特の芳香がただよい、すこしぐらいのカゼなどは、森の中で一仕事すれば治ってしまう」という、芳香医学の専門家の言葉が引用されています。

 「森の中にただよう殺菌力をもつ独特の芳香」とは何でしょうか?それはフィトンチッドと呼ばれる物質です。傷ついた植物が周囲に放出して微生物を殺してしまう物質のことを、ソ連の学者が「フィトンチッド」(フィトン=植物、チッド=殺す)と名付けました。ただし、フィトンチッドは通常、単体の物質ではなく、様々な物質の集合体です。

 この研究を知って、森林内の空気に含まれているフィトンチッドはどのような物質かを調べた日本の学者がいました。これにより、森の空気には、樹木由来の「テルペン類(広く植物の精油に含まれる物質でたくさんの種類がある)」という物質が含まれていることがわかりました。テルペン類は、消炎剤や消毒剤などの薬に使われています。しかし、気体状のテルペン類を含むフィトンチッドが、森の中でどのように人間に作用するかについては、その当時はよくわかりませんでした。人に何らかの効果があるかどうかの評価は、質問紙を中心とした主観評価に頼るしかなく、人の生理状態の計測がほとんど行われていなかったからです。

 テルペン類が森林浴効果の原因の一つであることが明らかになるには、測定方法の進歩を待たねばなりませんでした。


◆測定方法と機器の進歩が森林浴の効果を明らかにした

 1980年代の後半に入ってから、人の生理状態を計測する方法や機器が進歩しました。

 人の生理状態は、脳活動や自律神経活動、内分泌系活動などを測定することで調べます。1980年代後半に至るまでは、脳活動は脳波を測ることで、自律神経活動は血圧と脈拍数を腕から測ることで、内分泌系活動は血液や尿を採集して成分を分析することで測定が行われていました。

 しかし、これらの測定はどれも測定に要する負担が重いという欠点がありました。例えば、脳波の場合、椅子に動かないように座らされ、頭に電線を何本も貼りつけられては、快適さを測るどころの話ではなかったのです。

 この点が1980年代後半から大きく改善されました。脳活動*1、自律神経活動*2、内分泌系活動*3のいずれの分野でも、測定負荷を軽減する測定方法が開発・実用化されました。

 この進歩が、森林浴の効果を科学的に捉えることを可能にしました。1990年に屋久島で行われた森林浴実験*4では、ストレスホルモンを唾液中から測定するという方法が採用されました。その結果、森林浴を行うと、ストレスホルモンが減少することが明らかになりました。

 新たに開発された測定方法を用いて次々と実験結果が得られました。それらの結果をあわせると、森林浴は、ストレスを低下させ、体をリラックスさせ*5、免疫力を強くする*6ことが科学的に実証されたのです。


◆森林浴の効果をもたらす複数の要素<嗅覚、視覚、聴覚など>

 森林浴をすると、多くの人が、リラックスし気持ちがよいと感じます。これは単なる気のせいではありませんでした。先ほどのような実験から、森林浴は、実際に人の生理状態に影響を及ぼすことがわかりました。さて、それでは森林浴のどのような要素が人体に影響を与えるのでしょうか?

 まず、においについてはどうでしょう。森林のにおいの元であるテルペンが動物にどのような働きをするかを調べるために、ハツカネズミを使った実験が行われました。回転ゲージに入れられたハツカネズミが、ヒノキのテルペンを蒸発させた部屋で運動する様子を観察します。部屋の中のテルペンの濃度を変えたときに、ハツカネズミの運動量がどのように変化するのかを測りました。実験結果は、部屋の中のテルペン濃度をヒノキ林のテルペン濃度に近くした時には、テルペンがない状態に比べて、約2倍運動量が増えました。食欲も正常で、体重も増えていることから、テルペンのにおいから逃げ回っているのではなく、快適さを感じているために運動量が増えたと考えられています。

 人の場合でも、多くの木に含まれているα-ピネンというテルペンを薄い濃度でただよわせた部屋で眠ると、テルペンのない場合に比べて、疲れの回復が早いことがわかっています。 

 次に、人に森林の風景画像だけを見せて、血圧と脳血流量を測ってみました。視覚による効果を測るためです。測定結果は、血圧の低下が起こり、脳血流量も減りました。これは、体も脳も鎮静化してリラックスしたことを意味します。視覚のみによる森林浴効果が確認されたのです。

 それでは、聴覚についてはどうでしょうか?森の中を流れる小川のせせらぎ音だけを人に聞かせて実験した場合にも、血圧と脳血流量が下がりました。聴覚からの刺激によっても、森林浴のリラックス効果が現れるのです。

 このような一連の実験結果より、森林浴の快適性は、ただ一つの原因によるものではないことがわかってきました。目に優しい緑の景色、森林の静かな雰囲気、森林樹木の放出するにおいと新鮮な空気などの複数の要素が、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを刺激することによって、総合的にもたらす効果であると考えられています。


◆森林浴の謎は解明されたか?
 さて、これらのことを知った私は、さっそく、森林の音を収録したCDを聞きながら、森林のにおいのアロマオイルを焚いて、森林の映像を見てみました。しかしその時、私が感じた快適さは、実際に緑の下を歩いたときの快適さには遠く及びませんでした。森林浴の場合、バラバラの要素に分解されたものを足し合わせても、全体を再構成することは、今のところできないのです。

 学問の世界では、快適さの定義は未だに確定していません*7。快適さをどのように科学で捉え研究していくかについて新しい提案をしている研究者もいますが、まだ学界全体の合意には至らず、研究途上という様相です。


 野幌の森のさわやかな風に吹かれていると、森林浴の快適さにはまだまだ奥深い謎が秘められているように思えてなりません。


(文・写真: 中村滋

【アクセス】

  • 百年記念塔、開拓記念館、開拓の村

新札幌駅前バスターミナルからJRバス「開拓の村行き」に乗車。百年記念塔へは「野幌森林公園」、開拓記念館へは「記念館入り口」、開拓の村へは「開拓の村」(終点)で下車。
・JR函館本線「野幌森林公園駅」より、百年記念塔口まで1.3km。

  • 大沢口

新札幌駅前バスターミナルからJRバス「文京台行き」に乗車。「文京台南町」で下車。または夕鉄バス「文京通西行き」に乗車。「大沢公園入口」にて下車、徒歩5分。
・JR函館本線大麻駅」より、大沢口までおよそ2km。

  • これら以外にも、瑞穂口、登満別口、トド山口などの入り口がある。アクセスの詳細は下記の自然ふれあい交流館まで。

【インフォメーション】

  • 自然ふれあい交流館(tel:011-386-5832)

野幌森林公園の自然探訪者向けのビジターセンターで大沢口にある。月曜休館。


【参考文献】

  1. 林野庁が「森林浴」構想 森の香りを浴び心身を鍛えよう 自然休養林を再活用』 1982年7月29日、朝日新聞 朝刊第一面 
  2. 『植物の不思議な力=フィトンチッド 微生物を殺す樹木の謎をさぐる』 トーキン・神山恵三著、1980年、1984年、講談社
  3. 『木のふしぎな力』 谷田貝光克著、1996年、文研出版
  4. 『森林浴はなぜ体にいいか』 宮崎良文著、2003年、文春新書
  5. 『植物抽出成分の特性とその利用』 谷田貝光克著、2006年、八十一出版


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*1:脳活動への影響は、光を使って脳血流量を測ることによって計測できるようになりました。額から脳の中に太陽光の10分の1程度の強さの赤っぽい光(近赤外光)を照射します。すると、血液中のヘモグロビンがその光を反射します。反射された光の量を測定すると、脳の中にどれぐらいの血液が流れているのかがわかるのです。脳内の血流量が多ければければ多いほど、脳が活発に活動している状態であることになります。光を使った測定では、額に2箇所、パッドを付けるだけですむので測定負荷が軽くなりました。

*2:自律神経活動を知るための血圧と脈拍数の計測は、腕からではなく指から測定できるようになりました。

*3:内分泌系の変化は、唾液による測定が可能となりました。コルチゾールと呼ばれるストレスホルモンは、リラックス時には減り、ストレス時には増えることがわかっています。また、このストレスホルモンの血液中の濃度変化は、唾液中の濃度変化に関係します。従って、唾液中のストレスホルモンの濃度を測定することにより、内分泌系の変化を知ることができるようになりました。

*4:森林浴の効果を測定するための実験が、1990年に屋久島で行われました。実験は、質問紙による主観評価とストレスホルモンの測定を行います。森林からの効果であることを確認するために、森林という場所以外の条件を同じにした対照実験も合わせて行われました。対照実験の方は気温や湿度を自由に設定できる人工気候室内で行われます。屋久島実験の主観評価からは、森林浴によって、活気を保ちつつリラックスできたという回答が得られました。このとき、唾液中のストレスホルモンを測定すると、対照実験に比べて低くなることがわかったのです。この実験により、森林浴によってストレスが軽減することが明らかになりました。

*5:森林内を歩く実験では、最高血圧が対照実験に比べて減少することが測定されました。血圧が下がるということは、体が鎮静化しリラックスしていることの現れです。

*6:さらに別の実験からは、免疫細胞の一つであるナチュラルキラー細胞が、運動の前後で、都市の中では少し減少しますが、森林でははっきり増加するという実験結果が出ています。森林の中で運動すると免疫力が強くなるのです。

*7:唯一定義されている快適性に、熱的快適性があります。アメリカの暖房・冷房・空調技術協会が、「暑くも寒くもない感覚」としています。