雪降る街の不思議なビル 〜読売北海道ビル〜





札幌駅の南口にあるガラスのドームの脇を曲がって、紀伊国屋書店に向かって南口広場を西へ歩いてゆくと、左側にそのビルは建っています。


  • 雪舞う中に建つ不思議なビル


このビルを見ているとめまいのような不思議な感じがしてきます。よく気をつけて見てみると、普通のビルでは平行に並んでいるはずの窓の列が、たがいちがいに斜めに傾いて並んで見えます。


  • 上から数えて奇数番目の列は右側、偶数版目の列は左側が広がって見えませんか?


気になって調べてみると、このビルの窓の並びと似た、このような図形を見つけることができました。


  • この図も右側が広がって見えませんか?


白と黒の四角の列を灰色の境界線で区切って、上下で少しずらして並べたこの図形は、「カフェウォールの錯視」と呼ばれています*1。この図では、二本の灰色の境界線が右に向かって広がっているように見えますが、実際には、この二本の線は平行です(二本の線の間隔はどこでも同じです)。


「錯視」とは、図形や物体の見た目の大きさや位置、方向などが実際とは異なって見える現象です。「カフェウォールの錯視」では、水平線が傾いて見えます。この見かけの傾きの大きさは、白と黒の四角形の重なり等が変わると変化して見えます。


  • 四角形の重なり量の違いによる錯視の見え方のちがい*2


錯視を専門に研究している立命館大学北岡明佳先生にこのビルの錯視についてお尋ねしたところ、より正確には、先生が以前見つけられた「ずれたグラデーションの錯視」が見えているとのお答えをいただきました。


   

  • 左:「ずれたグラデーションの錯視 」(北岡先生の図を改写)  右:読売北海道ビルの壁の見え方の模式図


北岡先生によれば、「ずれたグラデーションの錯視」と「カフェウォールの錯視」は同じ原理に基づいていると考えられるそうです。「ずれたグラデーションの錯視」は、白と黒の四角の間に中間色の部分がある点が「カフェウォールの錯視」と異なります。札幌駅近くのこのビルも、白と黒の間に別の色があるグラデーションの列が、上下で位置をずらせて並べられています。


このビルの、色のグラデーションはどのように作られているのでしょうか。このビルに近づくと、境界線はアルミサッシ、白い部分はコンクリート板、窓は光の反射の割合が異なる二種類のガラスで作られていることがわかります。反射率の高い窓は鏡のように空の色が映って見えますが、反射率の低い窓では、光がビル内へ透過するため窓が黒く見えます。このため、同じガラス窓でも違う色に見えます。


  • 繰り返しの1ユニット(二枚の窓と一枚のコンクリート板)


ビルを見る角度によっては、窓の色の違いや境界線がはっきりと見えず、錯視は見えなくなります。例えば、ビルを真下から見上げると、ガラス窓の色の区別がつかなくなり、錯視が消えます。


  • 下から見上げると錯視が消えます


「カフェウォールの錯視」で線が斜めに傾いて見える理由については、いくつかの考察がなされています。


錯視の中に、同じ形と大きさの図形を白と黒に塗ると、白く塗った方がより大きく見える、というものがあります。「カフェウォールの錯視」でも白い四角形の部分がより大きく見えるため、境界線が傾いてみえるという考えがあります。また、四角の角と境界線のコントラストにより見かけ上の傾きが生じるという考えもあります。その他、人間の脳が目で見た情報を処理する時の様々な機能の特性と、錯視とを関連づけた説明がいくつか提案されています。しかし、錯視の明快さに比べて、その原因に白黒をつけることはなかなか難しいようです。


普段は正しく物が見えているのに、とても単純な図形で錯視が起こってしまうことは不思議なことです。でも、よく考えてみると、私達の目と脳が様々な図形や物の大きさや形を、瞬時に正しく判断できることの方が、実は本当に不思議なことだと気が付きます。錯視は普段は合理的に働く人間の視覚の仕組みが、「ほころび」を見せているところです。錯視が起こる仕組みを調べることは、私達が普段どのような仕組みで物を「見ている」のかを知ることでもあり、人間の脳の研究に大きな役割を果たしています。


ところで、札幌駅前のこのビルに見られる錯視は、設計者がデザインに込めた想いとは別に、偶然に生まれたものでした。


設計者は北海道の冬にきらきらと舞い落ちる粉雪をイメージしてこのビルをデザインしました。このため窓に光を反射するガラスを用い、窓ごとに光の反射率を変えました。また、コンクリート板の中には雪をイメージした白い小石が埋め込まれています。ビル内の店舗や事務所の採光を確保しつつ、窓が映えるデザインを色々と考え、窓の反射率と配置が決められました。はじめて錯視が見られることに気付いたのは、ビルの外観の設計を終え、CGで完成予想図を描いた時だったそうです。


小さな偶然から不思議なことがおこり、そこで抱いた小さな疑問から新しい発見が生まれることがあります。生活の中で時折感じる「あれ?」とか、「おや?」といった感覚を心のなかに大切にしまっておき、ちょっと考えてみたり、調べてみたりすると、意外な発見があるかもしれません。


札幌ではいよいよ本格的な冬が始まりました。この季節には、ビルの窓に映し出される、きらきらと舞い散る雪の姿と、偶然生まれた錯視の不思議とを、ここでは同時に楽しむことができます。



(文、図、写真:佐藤登志男)

【所在地】
札幌市中央区北四条西4−1
【アクセス】
JR札幌駅南口広場を西へ1分


【参考文献】

  1. ジャック・ニニオ 『錯覚の世界 古典からCGまで』 新曜社(2004)
  2. 後藤 倬男, 田中 平八 編 『錯視の科学ハンドブック』 東京大学出版会(2005)


【参考リンク】


【取材協力】

立命館大学 文学部人文学科心理学専攻 北岡 明佳 様

株式会社 三菱地所設計 建築設計部 渡辺 顕彦 様


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*1:「カフェウォール」とは喫茶店の壁、Cafe Wallのことです。この呼び方は、イギリスのブリストルにある喫茶店の壁に貼られたタイルの模様が、平行に並んで見えないことに研究者が偶然気づき、研究を行ったことで広まりました。その喫茶店の写真はここで見ることができます。http://www.richardgregory.org/papers/cafe_wall/cafe-wall_p1.htm

*2:「カフェウォールの錯視」はエクセルなどの表計算ソフトのワークシートのセルに色を塗り、境界線をひくことで簡単に作ることができます。四角形の重なり量や色、境界線の濃度や太さをいろいろ変えて、錯視の見え方がどう変わるのか、いろいろ試して遊んでみるのも楽しいです。