カムバックサーモン!ことはじめ〜偕楽園緑地〜


JR札幌駅北口を出て、そのまま北七条通りを西に向かって5,6分歩いていくと、行き止まりのような少し変則的な交差点に出ます。そのまま左側から回り込むように歩いていくと、右手に深く掘り込んだような形の公園があります。この公園が「偕楽園緑地」です。公園の裏側には、「清華亭」と呼ばれる古い洋風建築物が見えます。この建物は、1880年(明治13)に明治天皇北海道行幸の休憩所として建設されました。*1

偕楽園緑地:2006/10/24)



偕楽園のはじまり】

  偕楽園は、1871年(明治4)に全国に先駆けて、日本最初の都市公園として整備されました。偕楽園という名前は、孟子の「民と偕(とも)に楽しむ」の一文からとって名づけられたと言われています。
  当時は北七条西7丁目を中心に、今の北海道大学の一部を含む広い公園でした。このあたりには湧泉があり、それを源流とするサクシュコトニ川が流れ、大小のきれいな池を作っていました。その川は、そのまま今の北海道大学構内を流れて、昭和初期までサケが遡上していたという記録が残っています。開拓使末期の1882年(明治15)には、敷地面積40万坪に達する広大な公園となり、栽培試験場、博物場、工業試験場、競馬場とともに、サケ・マスふ化場がありました。ここは、開拓途中である北海道農畜産業の進歩に、大きな影響を与える場所となりました。


偕楽園でのさけふ化事業】

 初めて人工ふ化が試行されたのは、1877年(明治10)でした。当時石狩でサケ缶詰の技術指導をしていた外国人技師トリート氏が、石狩でサケを採取して、卵を偕楽園に運びました。しかし、全ての卵が凍死してしまい、最初の試みは失敗に終わりました。
  翌年(1878年)には、ふ化場が二棟造られ、養魚池も作られました。この年は、豊平川で雌雄合わせて159匹のサケを捕獲し、60,000粒の卵を採取して発眼卵29,000粒を東京の試験場に、残りは偕楽園でふ化しました。翌年(1879年)には、稚魚94尾に白金線や銅線の標識を付けて、豊平川に放流しています。
  この年には、ふ化場の増設や養魚池、川の整備を行い、ふ化器も最新式のものを導入しています。ふ化器を6段に重ねて、水車の動力で持ち上げた水を降り注ぐというシステムでした。

(当時のふ化場:札幌市豊平川サケ科学館パネルより)


偕楽園でのふ化事業が失敗したわけ】

 ところが、偕楽園のサケふ化場は、4年で閉鎖に追い込まれることとなりました。なぜでしょうか。それは、技術の未熟さと当時のサケの捕獲量にあります。
  たとえ最新設備でも、死んだ卵を一緒に入れておくと水生菌(水カビ)が発生して、健康な卵にも感染してしまいます。しかし当時は、うまくふ化しない原因の多くが細菌であるという認識がなく、小さな虫の侵入だと思われていました。そこで、虫の侵入を防ぐための鉄網で対処しようとしていました。もちろん、網などで細菌を防ぐことは出来ません。また、ネズミに卵を食い荒らされる被害もあったようです。しかもふ化率は、高くても20〜30%だったと言われています。
  そして、もう一つの原因として、サケのふ化事業そのものを理解してもらえなかったことではないかと考えられています。最初にふ化事業を提案したトリート氏は、「ふ化事業は国の利益になります。遡上が確認されている川のサケが増えるだけではなく、全くいなかった川にも上るようになるのです。」と、当時の開拓使長官である黒田清隆氏にふ化事業の必要性を訴えています。しかし、当時の石狩川河口では、サケが溢れており、一網で5000匹、一シーズンで180万匹が捕獲されていました。人々は自然に遡上してくる大量のサケで、十分恩恵を受けていたのです。
このような状況では、ふ化事業は理解されなかったようです。本格的なさけふ化事業の再開は、11年後の1888年(明治21)の千歳中央ふ化場の建設からスタートしました。


【現在のサケふ化事業】

 では、現在のさけふ化事業は、どのようなものなのでしょうか。今回筆者は、真駒内公園内にある豊平川さけ科学館に行ってみました。
  ここには、シロザケをはじめ約20種類のサケ科魚類がいます。シロザケについてはふ化放流事業を、他のサケ科魚類については継続飼育を目的としています。豊平川と同じ石狩川水系千歳川のシロザケを捕獲場で捕獲後に科学館の水槽で約1週間畜養して、採卵時期を待ちます。捕獲直後は、外から触ってもがちがちに硬い卵巣が柔らかくなってきます。そこで、採卵し、受精させてから1時間から8時間かけてゆっくりと吸水させます。*2卵の皮が少し硬くなるのを待ってから、ふ化槽に収容します。このふ化槽は地下水(8〜10℃)を上から下まで流しっぱなしにしています。途中、死んでしまった卵を一つ一つ取り除きながら*3、約50日間待つと、かわいい仔魚*4の誕生です。
一つの引き出しには約1万粒の受精卵が入ります。10段ありますから、一台のふ化槽で約10万粒の受精卵をふ化させることが出来るのです。この方法で約8割の受精卵からサケの仔魚がふ化をします。
      
(ふ化槽(左)と引き出しの中の卵(右):2006/11/07)


訪問日には、展示されている卵の誕生予定日でしたが、卵の中で動いているのは見えるものの、残念ながらまだふ化していませんでした。たぶん、今は元気に泳ぎ回っていることでしょう。


(発眼卵の様子(左) サケの稚魚(右):2006/11/07)   


【「カムバック・サーモン事業」を考える】

 ふ化事業を進めなくてもたくさんのサケが遡上していた時代が過ぎ、環境汚染等が広がるとともに、川にサケが戻ってこなくなりました。そこで、「川をきれいにして、サケの戻ってくる川を取り戻そう」と1970年代後半から「カムバック・サーモン運動」を札幌の市民団体がはじめました。
  今ではその活動は全国に広がっています。中には、偕楽園開設当初にトリート氏が主張したように「サケの居なかった川にもサケを遡上させたい」という思いも出てきました。しかし、元来そこに生息していない生物を放流するということは、生態系を人間が変えてしまうことに成りかねません。
  そのためシロザケに関しては、サケの捕獲場所や放流場所がきちんと制限されています。さけ科学館では、千歳川で捕獲・ふ化したサケの稚魚を、春には同じ石狩川水系豊平川で放流しています。

   
(サケの稚魚の放流の様子:札幌市豊平川さけ科学館提供)


【面影はなくても・・・】

 偕楽園は、ほとんどの敷地が住宅や商業ビルにとって変わってしまい、今では小さな公園となっています。開拓当時ここにサケふ化場があったことも、清華亭のパネルに一文が記載されているだけです。しかし、公園そのものは周りに比べて非常に低い土地であり、池や湧泉の跡を思わせ、道路にも川の流れを感じさせる緩やかさをあちこちに見つけることができます。

(現在の偕楽園の様子 2006/10/24)


(文、写真: かみむらあきこ)

  • 【アクセス】 JR札幌駅北口から西へ 徒歩10分
  • 【住所】   札幌市北区北6,7条西7丁目
  • 【参考資料】   

 -開拓使事業報告 第三編II           大蔵省編
 -さっぽろ文庫 64          北海道新聞社編
 -札幌の歴史 第8号       札幌市教育委員会文化資料室編
 -北区エピソード史料館 No.05,06    北区発行資料
 -続 北区エピソード史料館 No.22    北区発行資料
 -新 北区エピソード史料館 No.04,05   北区発行資料

  • 【取材協力】

 -札幌市豊平川さけ科学館

  • 【サケに関する記事】

 さっぽろサイエンス観光マップでは、サケに関する記事が他にもあります。
 
-海からのおくりもの カムイチェプ d:id:costep_webteam:20060127
-サケへの新たな挑戦       d:id:costep_webteam:20060210
-豊平川の鮭            d:id:costep_webteam:20060214
 
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*1:宿泊所として建設されたのが、豊平館でした。「明治の薫りが漂う空間〜豊平館」参照

*2:卵膜は1時間以上吸水すると、幾分硬くなり少しの衝撃に強くなりますが、9時間以降は発生が始まり、また衝撃に弱くなるため、その間にふ化槽に収容します。

*3:死卵を取り出すことを「検卵」と言います。

*4:生まれたばかりで、お腹に卵黄のうを付けた状態を正確には「仔魚」といいます。卵黄のうが全て吸収されて、泳ぎ始めた(浮上)状態を「稚魚」といいます。