「この道」は、ポプラチェンバロの道 〜北海道大学総合博物館〜

 


札幌駅北口から10分ほど歩いた北海道大学構内に、北海道大学総合博物館があります。9月初旬、そこに真新しいチェンバロが展示されました。


(左:北大総合博物館2006/9/24撮影    右:展示会場 2006/9/26撮影)


この楽器は、イタリア語やドイツ語ではチェンバロと言いますが、英語ではハープシコード、フランス語ではクラヴサンと呼ばれています。見た目はピアノに非常に似ていて、大きさは少し小さめです。
実際にどんな音色がするのか確かめてみましょう。


チェンバロの音・曲名「この道」♪

http://costep.hucc.hokudai.ac.jp:28080/stream/konomichi2.ram
(うまく聞けない場合は、こちら
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ピアノとは音色が全く違います。どちらかというと、金属音に近い感じがします。


チェンバロのしくみ】

では、チェンバロはどのようにして音を出しているのでしょうか。
鍵盤の奥には、爪のついたジャックといわれる板が垂直に立っています。その爪のすぐ上に弦が張られています。そして、ジャックには爪とともに弦を挟むようにして、振動止めのダンパーが付いています。爪の付いている部分は、タングと呼ばれ回転するようになっています。

鍵盤を押すと、てこの原理でジャックが上がり始めます。一緒にダンパーも弦から離れます。その際、爪が弦に触れてはじきます。鍵盤から手を離すと、ジャックはそのものの重みで下に落ちます。その時タングが回転して、爪は弦をはじくことなくすり抜けて元の位置に戻り、同時にダンパーが弦に触れて振動を止めて、音を消します。つまり、チェンバロは、弦を爪ではじいて音を出すギターやハープの仲間なのです。これを撥弦鍵盤楽器といいます。一般に撥弦鍵盤楽器は、弦がいつも同じ位置から同じ距離だけ爪で押し上げられて開放されるので、鍵盤を強くたたいても弱くたたいても、出てくる音量に微妙な変化を加えることが出来ません。

(図:チェンバロのしくみ)



(鍵盤とジャックの動きの連動:2006/9/8撮影)



【ピアノのしくみ】
ピアノは、イタリアのバルトロメオ・クリスフォリによって発明され、正式名を「クラーべ・チェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」といいます。これは、「弱い音から強い音まで自由に表現できる大型のチェンバロ」という意味です。チェンバロとの違いは、弦を爪が上下することではじいて音を出すのではなく、弦をハンマーで下から叩いて音を出すところです。そのため、鍵盤を叩く強弱がハンマーが弦を叩く強弱になるので、音の強弱が生まれるのです。

チェンバロは、14世紀ごろからヨーロッパで使用され始め、17,8世紀には全盛期を迎えます。それまでは、伴奏的な意味合いが強かった器楽は、劇音楽や室内楽の訪れとともに発展し、鍵盤楽器は中心的な存在となっていきました。ちょうど、ルネサンスバロック音楽全盛時代と重なります。しかし、その後、古典派時代に移りオーケストラ音楽が発展すると、音の強弱が可能なピアノへと鍵盤楽器の主流は、移っていきました。


【ポプラ並木からポプラチェンバロ完成まで】
では、なぜこのチェンバロは、博物館に展示されることになったのでしょうか。
実は、この楽器は、北海道大学(以下北大)の中でも有名なポプラ並木のポプラで作られたものです。今から二年前、台風18号が北海道で猛威をふるいました。札幌でも観測史上最高の最大瞬間風速50.2メートルを記録したこの台風で、北大でも多くの被害を受けました。ポプラ並木では、51本のうち19本が倒れ、8本が傾くなどの影響が出ました。

(台風18号直後のポプラ並木 北大事務局総務部広報課提供 2004/9撮影)


このポプラ並木は、1903年明治36年)に数本植えられたのが最初で、1912年に学生実習の一環として、45本の苗木を植えたことが原型となっています。実は、1959年にも台風の被害を受け、10本近くが倒れました。このときには、安全性の不安と景観から、残りの木も全て伐採しては、という意見が出ました。しかし「私たちのポプラがかわいそう」という小学生の手紙がきっかけで、道と大学が協力して植え直しが行われ、約250メートルの並木が出来上がりました。このように長い間市民にも愛されたポプラは、今回も多くの人の思いから、苗木の植え直しとともに、倒木からチェンバロを作ることになったのです。

 
ポプラは、種類が多く、北半球に広く分布している一般的な木です。北大のポプラは、ヨーロッパクロポプラと呼ばれているものです。成長が早く、大きいものでは高さが40メートルにまで及びます。もともと風には弱く、寿命も60〜70年といわれています。ですから、台風前のポプラ並木の木はかなりの老木だったのです。また、ポプラは、挿し木によって増やすことが出来るため、北大では、農学部演習林で並木から採取した枝を、挿し木育成しています。そして、これまでの二度の台風被害の後には、ここで育成された苗木が、植え直しに利用されています。つまり、明治時代からのポプラ自身が、代々受け継がれているのです。


今回「チェンバロを作りませんか」と提案したのは、北海道教育大学音楽学を専門としている市川信一郎教授でした。このプランに北大が賛同し、そして埼玉在住の横田誠三さんが、チェンバロを製作することになりました。ポプラは、ヨーロッパでは楽器の材料としては、ポピュラーなものです。*1成長が早いので、どちらかというと柔らかい素材ですが、硬めの良質な部分のみを使うことが出来ます。しかし、チェンバロは大きな楽器なので、大きい材木が必要です。そのため、もともと1本から取れる量は少ないのですが、今回は台風による倒木だったため、さらに少なかったようです。それでも、7本の倒木から奇跡的に2〜3台分の材料を取ることができました。結局、今回製作された2台のチェンバロ*2に、このポプラ材の良質な部分全てを使い切りました。また、脚の部分には、同じ北大構内のハルニレ*3が使われています。
チェンバロは、手入れを怠らなければ、300年でも500年でも保つことが出来るといわれています。通常60〜70年が寿命といわれるポプラが、台風という困難を超えて、今、息を吹き返したのです。


(完成したポプラチェンバロ 2006/9/8撮影)


【ポプラチェンバロコンサートを訪れて】

多くの被害をもたらした台風18号から二年後となった、今月8日。北大のクラーク会館で「ポプラのチェンバロ演奏会」が催されました。市川先生、横田さん、北大関係者、そして現在留学生として北大を訪れているクラーク博士の子孫のサリバンさんや札幌農学校一期生の子孫のキーンさんなど、多くの方々が集まりました。ステージでは、同じく一期生の子孫であり、チェンバリストの水永さんによる演奏が始まりました。強弱の出せない、非常に繊細な小さな音をイメージしていたのですが、とても響くやわらかい音色でした。最後のアンコール曲は、「この道」。会場のあちこちから、チェンバロに合わせて口ずさむ歌声が響きました。その時、筆者の目の前には、心地よい風にカラカラと葉を鳴らすポプラ並木の情景が、広がりました。


(現在のポプラ並木 2006/9/8撮影)


(文、写真、作図: かみむらあきこ)

                   月曜休館 入館料無料


【参考資料・参考サイト】   
  -音楽と楽器の科学 音の不思議をさぐる  チャールズ・テイラー著 大月書店
  -チェンバロ  Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/チェンバロ   
  -横田ハープシコード工房  http://www.h4.dion.ne.jp/~y-cemb/koubou.html 
  -北大再発見  http://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition08/campus-tour.html


【取材協力】

  -北海道大学事務局総務部広報課
  -横田ハープしコード工房 横田誠三 様

                  ご協力ありがとうございました。 

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*1:バイオリンで有名なストラディヴァリも、ヴィオラやチェロの裏板に用いています。

*2:残りの一台は、市川教授の元に収められました。

*3:ハルニレは、北日本の山地に多い落葉広葉樹で、高さ25メートル、直径50センチ以上になる木です。北大構内にも多く見られ、別名エルムとしても知られています。